ほさめの落書き

気の向くままにつらつらと。

あの日について。

ずいぶんとご無沙汰していました。

年末からバタバタと日々が過ぎてしまい気づけば年度末。

 

相も変わらずあちこち走り回る日々です。

そんな中ですが、3月にはやっぱり立ち止まって考えたくなる時があるんです。

 

3.11 多くの人にとって特別な意味を持つこの日の事について少し書いていきます。

 

その日僕はまだ高校生でした。HRでざわつく教室で地震がきたんですよね。

その日までは地震という物は意外と日常的な出来事で、終わった後に「結構ゆれたねー」なんて言いながらYahooニュースを見て震度を確認する。その程度の認識だったんですよ。

 

でも、その日は全然違って「あ、死ぬかもしれない」と初めて思った日でした。

割れる窓ガラスに蛍光灯、教室を埋める悲鳴、わずか1分ばかりの時間の中であっという間に

日常はぶっ壊れてしまったんです。

 

揺れも収まって、全員がグラウンドに避難する中、両親に必死に電話をかけようとした事を覚えています。

みんなが家族や恋人を思って電話した結果、皮肉な事に電波は通じず、携帯を握りしめながら

避難した事を覚えています。

 

そんな中でも高校生って生き物はある種お気楽で、今みたいにスマホTwitterも普及していないから世間の動きもわからずバカな話をしてなんとか笑っていられる状態でした。

 

それでもその日は家に帰れず、学校に泊まったんですよね。電気も止まった学校で焚き火を囲みながらワンセグのニュースを見た時の衝撃を忘れる事はないでしょう。

 

気仙沼 火災 津波 石巻 釜石 行方不明者 死者・・・

 

本当に信じられないニュースが飛び込んできて、みんな無口になりながら焚き火を見つめた事を

覚えています。

 

幸いな事に僕の家族はみんな無事で、深夜2時頃にやっと電話が通じたんですね。

あの時ほど、家族の重要性を思った事はありません。電話口に流れる父の声に、涙をぐっとこらえていました。

 

その日からの1ヶ月は本当にあっという間の事でした。家に帰れば壁にヒビ、散らばるガラス。

使えない水道、やまない余震。必死で片付けをしながら何とか日常を取り戻そうと慌ただしく過ごしていました。

 

あの1ヶ月のせいか、緊急地震速報をきくと今でも動悸が早まって、冷や汗が吹き出ます。

 

被災地の中でも比較的被害の軽かった僕の故郷は何とか1ヶ月で前の生活を取り戻せました。

本当に被害の大きかった地域のニュースに毎日打ちのめされながらも、どこか遠いニュースのように思い始めた5月の事です。

 

何となく新聞を開いた時に飛び込む、明らかになった犠牲者の名簿を見ていたら視界に○○ ○○○(5歳)の文字がありました。

 

その時に思ってしまったんですよね。この子がなぜ死んで、何で能天気な僕が生きてしまったんだろう。この子の将来には無限の可能性があったのにと。そしてそこから20000人の数字が実態を持って頭に入ってくるようになりました。とてもとても重い数字でした。

 

ぐるぐると答えなんか出っこない事を考える中で、一つ着地点をつくりました。

せめて、しっかり生きようと。恥じない生き方をしようと。そんな風に思うようになりました。

今思えば、その日を契機に、大人になりたいと思うようになりました。

 

そして、大学生になり、社会人になりと時間が経つ中でも、毎年3月11日には立ち止まって振り返るようになりました。「しっかりと生きているのかい?」と自問自答を繰り返しながら、時々自分のダメダメさ加減に嫌気がさすけれども奮い立たせるようにしています。

 

そんな振り返りの為の文章でした。共に頑張りましょう。